先日有楽町にて『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』を観て来ました。
あらすじ
ベースはトルストイの『アンナ・カレーニナ』なのですが、舞台設定が独特でした。時は日露戦争時、場所は満州。アンナとカレーニンの間の息子、セルゲイは成長して軍医となり、満州の戦場で母の愛人であったヴロンスキーと再会します。「母を憎む人からしか、母の話を聞いたことが無い」と自身で語るセルゲイは、ヴロンスキーにアンナの話をするよう頼みます。それに応じてヴロンスキーがアンナとの日々を想い出し、語る…というのが大体の筋書きです。
小説との違い
一番の違いは、前述の通り舞台でしょう。他に、小説に居なかった人物として満州の娘、春生(シュンツェン)が登場します。ヴロンスキーは彼女に対し保護者のような愛情を感じ、最後には迫りくる日本軍から逃がしてやるのですが、正直彼女が登場した意味は良く分かりませんでした。
もう一つは、映画ではアンナと愛人ヴロンスキー、夫カレーニンの話にのみ焦点が当てられていたこと。破滅的な運命をたどるアンナとヴロンスキーとは対照的に、小説には結婚生活の中に幸せを見出すキチイとレーヴィンの夫婦が登場します。また、アンナの浮気性の兄、オブロンスキーとドリーの夫婦も全編を通して出番がありました。
一方映画ではキチイとオブロンスキーが少々登場するだけで、彼らに関する描写はバッサリと省略されています。勿体ない気もしましたが、登場人物への説明の少なさからして小説を読んだことがある人を視聴者として想定しているようなので、そうした焦点の絞り方もありなのかな、と思いました。
その分、小説で印象に残っていたアンナのシーンはどれも色鮮やかに再現されていました。鉄道での出会いのシーン、競馬でヴロンスキーが落馬したのを見て泣き崩れるシーン、オペラを見に行って社交界から爪弾きにされるシーン…、こちらまで感情移入してしまって心を揺さぶられます。
鉄道駅へ向かうアンナ
一番印象的だったのは、自殺するべく鉄道駅へ馬車を走らせるアンナのシーンでした。馬車の中のアンナは低い声で怒りや憎しみを露わにし、低温で迫力のあるBGMが彼女の悪魔のような恐ろしさを一層際立たせます。
でも…この時のアンナをヴロンスキーは見ていないはず。そもそも映画の最初で、セルゲイは「母を憎む人からしか話を聞いたことが無い。だから、母を愛したあなたから話を聞きたい」とヴロンスキーに言っています。人によって物事の見方は変わる。悪魔のように憎しみを露わにするアンナは、ヴロンスキーが想像したものでしかありません。
では、本当のアンナは、あの時馬車の中で何を考えていたのでしょうか。
ヴロンスキーの手紙が間に合っていれば、死ななくて済んだのでしょうか。
それは…
原作を読んだのが大分前なので忘れた。
完