三浦春馬主演『罪と罰』を見て来た

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サンクトペテルブルク・センナヤ広場にて

先日、シアターコクーンにて上演中の『罪と罰』を見てきました。

何度か読んだことのある作品でしたが、舞台という異なる表現形式で鑑賞することで新たな発見がありました。思い描いていた人物像がそのまま具現化されたようなラスコーリニコフ、小説ではつかみきれなかった人物像が見事に表現されていたラズミーヒンとポルフィーリー。一方でソーニャは私のイメージとは異なっていたけれど、その相違点を通して他の解釈の可能性に気づきました。初めての舞台でしたが、勇気を出していってみて良かったです。

ラスコーリニコフ・ラズミーヒン

とにかく演技が上手かったです!ラスコーリニコフは終始猫背気味で神経質で、まるで小説の中から飛び出してきたかのようでした。

ラズミーヒンは、正直小説を読んでいた時はキャラクターを掴み切れていませんでした。捻くれていたり癖のあったりする人物が多い小説の中、ラズミーヒンは本当に「いい奴」なので、私の中では浮いてしまって、流し読みしていました。今回の舞台では底抜けに明るく、またドゥーニャへの愛情を時にコミカルに演じてくれていて、「こういう人なのね」とラズミーヒンの人物像をスッと理解出来ました。

舞台の後で小説を読み返してみると、この二人の台詞が役者さんの声で脳内再生されるようになっていました。舞台って、小説をそのまま具現化するだけじゃないんですね。舞台にすることで、動作や話し方など、新たな情報が付け加えられる。それは自分のイメージと同じかもしれないし、違うかもしれないけれど、共通点や相違点を通して、明確には意識されていなかった点が浮かび上がってきます。舞台を見ることで、小説を読む営みがより深くなるというのは、今回の新しい発見でした。

ソーニャ

小説を読んで膨らませていたイメージと舞台で受けた印象が一番異なっていたのがソーニャでした。

元々彼女のことは、おどおどと怯えがちな、か弱い女性であるとイメージしていました。実際、小説では「怯えるように」「か細い声で」などと形容されている場面が多かったです。また、彼女は他人のために自分の全て差し出してしまうようなところがあります。家族の窮状を救うために娼婦に身を落としていますし、無抵抗なまま殺されたリザヴェータとも元々仲が良く、重なるところがありました。

一方、舞台でのソーニャは「強い女性」として描かれているように感じました。くすんだ色の衣装を着ている人物ばかりの舞台で、娼婦の真紅のドレスを着て常に小走りで移動する彼女は、視覚的にもインパクトがありました。また、か細い声で話す場面はほぼ見られず、特にラザロの復活を読み聞かせる場面では、興奮したラスコーリニコフと怒鳴り合いのようにもなっていました。

ただ、もう一度小説を読み返してみると、確かにラスコーリニコフと二人話し合う場面では、ソーニャもだんだんとヒートアップしていることが読み取れました。「段々とか細い声で」などの形容詞の代わりに「叫んだ」のような動詞が使われ、語尾には感嘆符がつくようになっていきます。舞台ではソーニャのこうした一面、芯の強さをより強調していたように思います。また、彼女にはリザヴェータと同じく自分の全てを差し出してしまう無力さと、ラスコーリニコフと同じく一線を越えて罪を犯してしまう(娼婦になる)一面が同居していましたが、この舞台では後者に焦点を当てていたようでした。

か弱いソーニャも見たかったけれど、舞台を通して彼女の異なる一面に気づくことができました。

ポルフィーリー

舞台の可能性を一番感じさせてくれた人物です。老婆殺害事件の犯人としてラスコーリニコフが怪しいと睨んでいたポルフィーリーは、しばしば彼に心理戦を仕掛けます。日常的な世間話から始めて、だんだんと事件の核心に迫り、心理的に追い詰めていくのです。

舞台では世間話をしながら椅子などの小道具を舞台裏へ放り投げたり、シーツを畳もうとしているのにおしゃべりに夢中で一向に畳めていなかったり、コミカルな仕草が印象的でした。それが段々と真剣な雰囲気になり、落ち着いた声でラスコーリニコフを追い詰めていくシーンは必見です。舞台だからこそできる表現で、小説の世界をいっそう生き生きと描いていました。

 

学ぶこと多く、大興奮の舞台でした!!

またほかの作品もみて観たい、他の作品ももっと深く読んでみたい!!素敵な舞台を作り上げてくれた皆さんに感謝感謝です。